実験として、新月のはじめごとと満月のてばなしごとを綴っています。

今日は新月。はじめごとを書き置きます。

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〜今月の新月のはじめごと〜


「じぶんが癒せる領域を意識する」

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昨日の @sahori.9 さんとの会話で、
癒すということには領域がありそうだねっていう話になりました。

その中でわたしが感じた癒しとは、

じぶんを知ること

じぶんでいること

じぶんであること

ということです。

これは持論ですが、
癒すということにおいて、

じぶんを知るということは、気づきであり起点になる。

じぶんでいるということは、動作がある行為と考えました。
つまり、意識して行えるということ。

じぶんであるということは、常態であるということ。

そして癒しとは、じぶんであることに還る?戻る?ことなのではないか、と感じました。
(子どものように、またはもっと前の存在のように。人によって、現在地は違うのでしょう)

そこにわたしは、灯りと対話で関わろうとしています。

「灯りで安心な場をつくり
対話でじぶんを知っていく」

これは活動のテーマですが、
じぶんを知ることと、じぶんでいることは、短い対話セッションの中で感じることがあるでしょう。

セッションの中では、そんな自分でいる練習をし、次回のセッションまで、また思い出したり立ち戻ったりして「じぶんでいる練習」をしていきます。
そうやってじぶんでいることができるようになっていき、
少しずつ、少しずつ、「じぶんである」という常態に還っていく。

ただ人間は、忘れるものです。面倒になったり、くじけたりするものです。それは、誰しも感じたことがあるものだと思われます。

だから
定期的に立ち戻る起点を見直す場、
じぶんでいる練習をする場として、
継続的に対話の場を設ける人が多いのではないでしょうか。

雷に打たれたようなセンセーショナルな体験ばかりを求めるのではなく、
地道にコツコツと、じぶんと向き合って、
じぶんでいることじぶんであることを練習し、土台を築いていく人は、
その土壌が豊かに強くなり、やがて自由にじぶんでありながら選択していけるようになるのではないかと感じています。
これは、わたし自身の体験と、少ないながらわたしに関わってくださった方のお声や姿から
いま現在感じていることです。

それはきっとしまうら自身が、
やりたいことがわからず、自分がわからないと思い込んだ時期を体験してきた人生であったことが、
もしかしたら与えられた役割のひとつなのかもしれません。

なのでわたしは、

灯りというもので自分のことを話せる安心な場を築き
対話をすることで、じぶんを知ることとじぶんでいる練習をともにして
じぶんであることへ還るという癒しに関わりたいと思う

そんな想いが昨日の対話から浮かび上がってきました。

なので、今月の新月のはじめごとは
「じぶんが癒せる領域を意識すること」

そうやって、意識の設定をしてみたいと思います。

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#新月のはじめごと